【Patina哲学】「農業体験民宿 半兵衛」で田舎暮らしを体験 -前編-
『田舎暮らしがしたい』
昔からなんとなく、田園風景や里山の風景の中で過ごしたり古民家で暮らす、ということに憧れを持ちながら、実践できないでいる。体験ベースならなんとなくかじったことがあるくらい。
東京で仕事をしていると、毎日通勤列車に揺られて規則的に働き、ご飯を作るのがめんどうであることが多々あるので、コンビニやスーパーで済ませてしまったりする。水を購入して飲む事はもはや当たり前で、手の込んだ家事は何らかのサービスを見つけてたいていお金で解決する。なによりも時間価値が高い都会は、時間効率の良いものがもっとも価値が高いように思う。
しかしこの暮らしは疲れる。毎日走り続けているようで、たまに時間価値を壊したくなることがある。だからかもしれない。たまに、ぽつんと『田舎暮らしがしたい』と思ってしまうのは。
茨城県龍ケ崎市でショートステイ
茨城県での出張が決まり、滞在先を探していると「農家レストラン・農業体験民宿 半兵衛」という宿泊施設を見つけたので、ここでたったの3日間のショートステイだが、田舎暮らし(?)をすることにした。
▲農家レストラン・農業体験民宿 半兵衛
都内からだとざっと60km。車で1時間半ほどの距離である。
だだっぴろい農家に一人で宿泊できて、一泊2100円。農業体験などいろいろできるが今回は素泊まり。民宿は、まるでおばあちゃんの家に来たような懐かしさで、すぐに馴染んだ。世話人の方に近くのレストランに連れて行ってもらい夕食を食べ、この広い家屋にたった一人という心細さを忘れてそのまま爆睡。
バードウォッチング初体験で鳥の世界を知る
朝日と鳥の声とともに目覚めたとき、都会暮らしの疲れは吹っ飛んでいた。
そのままゆっくりこのでっかい農家で今日はのんびりしようか、と思った矢先、世話人の方から電話がかかってきて、「今日はバードウォッチングをするから一緒に来ないか」と言う。バードウォッチングなんて参加したことがなかったが、普段は一般人非公開の竜ヶ崎飛行場に行けるということだったので、参加することにした。
参加してみると本格的なバードウォッチングサークルで、参加者はだいたい60〜70代がメイン。鳥のさえずりでどの鳥が鳴いたか分かる人もいた。
龍ケ崎は自然が豊かなので、さまざまな鳥を鑑賞することができる。
バードウォッチングの楽しみ方は、鳥そのものだけではなく、鳥と鳥が存在する環境と声を楽しむことだそうだ。鳥の見つけ方は鳴き声を聞く事。鳥はそのエリアで一番高いところに行き、縄張りを主張するために鳴くのだそうだ。だから、鳥をウォッチするには、鳴き声を聞いたら速やかに高い場所を見つけて鳴いている鳥を探すこと。そして静かに望遠鏡で覗くこと。そして、鳥の世界を知ること。
バードウォッチングをするまでは、鳥は「トリ」でしかなく、そこからいろんな科目があり、いろんな種類があるなんて、知っているようでほとんど知らなかった。動物を鑑賞するのは、ペットショップか動物園だ。ここで飼育されている動物たちが自ら環境を選んだ訳ではないし、種の保存のためにそこに存在するわけではない。むしろペットに至っては、種を増やさないために、避妊手術すらされているものもあり、ただ、目でそのかわいさや獰猛さを楽しむだけだ。
しかし、今日見た鳥たちは、自分の食べるものを分かっており、食べるものの範囲内で環境を決定し、そこで縄張りを主張し、暮らしている。環境をつくるのではなく、ある環境に自分を適応させている。
絶滅危惧種に指定されているコジュリンをウォッチングした。彼らは雑草と一緒にうっそうと生えている大麦畑の中で繁殖活動を行うが、大麦を刈る人たちはそこに絶滅危惧種が巣をつくっていることを知らない。大麦が育ち、時期が来ると、大麦の上の部分だけコンバインで刈るそうだ。そのときにコジュリンの巣が大麦畑にあると、巣は大麦と一緒に刈り取られてしまう。大麦畑の中ではなく、畦に巣作りをしたコジュリンは生き延びるそうだ。コジュリンはサイズが小さく、気に留められない大きさだ。大麦を刈る人はそんなつもりで刈ってはいないだろうし、コジュリンはそこがコンバインで刈られると知らないから、巣作りをする。ここで生死を分けるのは、運かコミュニケーションでしかない。しかし、コジュリンと人は話せない。関係性が一対一ならば、簡単に助けられるのかもしれないが、一対一で存在する環境はない。
複数の存在意義が同じ場所に違う時間軸と意味で存在している。助けることもできるのだろうし、「助ける」という考えそのものがおかしいのかもしれない。
人間以外の生命の存在を、動物園の動物を見るような目でしか見ていないこと、そのことが。