群言堂日記04-暮らしの中の祈り
いまの生活の中で「祈る」ことと言えば、お正月の初詣や、受験、出産など特別な日に神社に行くくらいですが、阿部家には色々な暮らしの中の祈りがあります。
「火のある生活」を大切にしている阿部家の台所には「おくどさん」と呼ばれ、大切に使われているかまどがあります。
毎日のようにごはんを炊きく、そのおくどさんの上にある釜神様。火事にならないようにいつもかまどを見張っているのだと言います。
おくどさんに飾られているのは「もったいない神様」。
三方にもられているのは、なんと穴あけパンチで穴を空けたときに出る紙のくず!
登美さんのお知り合いから届いたものらしく、キラキラしたものや、綺麗な色合い、質感の紙は破片になっても素敵。簡単に捨ててしまうものにも目を向けてみようと考えさせられます。
他にも阿部家には小さなお地蔵さんがいたるところにあります。
慌ただしい日常の中でも、ちょっとお花をお供えして祈る時間は心豊かな気持ちにさせてくれます。
かつて銀山として栄えたころは、鉱夫の無事や山が栄えるようにと100ヵ寺近くお寺や神社があったという石見銀山。観世音寺に併設されている一畑薬師は、暗闇の中銀山で銀を掘る鉱夫達が目を患いやすかったため、目の病を払うためにと建てられたそう。
昔は祈りがその土地の暮らしと密接だったことがよくわかります。
昨年亡くなられた森のイスキアの佐藤初女さんは、「手を合わせて祈るのは「静の祈り」、同じことを心に抱きながら行動するのが「動の祈り」」という言葉を残しています。
本来祈りというものは、特別な日に「どうかお願いします!」と願掛けするものではなくて、日常の暮らしの中にあるというか、「感謝ながら懸命に暮らすこと」そのものなのかもしれません。